poohrunningの「改訂版:明日はちゃんとします。」

いやはや…いつまで続くことやら…。

『忠義』を思う

先日、品川近辺でしていた仕事が早く終わったので、ふと思いたって事務所に戻る前にふらっと泉岳寺に立ち寄り、忠臣蔵で有名な赤穂四十七士浅野内匠頭墓所を見に行き、墓前で手を合わせてきました。都営浅草線の泉岳寺駅から程近い路地の一番奥にある山門をくぐり左手に折れた奥に墓地はあった。

 

東京で生まれ育ち、泉岳寺から目と鼻の先にの薬王寺にある父の恩人の墓には度々墓参りに訪れてはいたものの、あまりにも有名な『忠臣蔵』の義士墓前に詣でるのは、物心ついてからは初めての事でした。浅野内匠頭大石内蔵助堀部安兵衛…順番に墓碑銘をみながら手を合わせていったが、一時期夢中になって読んだ時代小説に出てくる登場人物が今目の前の石の下に眠っているかと思うと、なんだか不思議な気がした。

 

赤穂浪士の吉良邸討ち入り・・・

非業の死を遂げた主君と御家断絶とされた無念を晴らすがために、江戸幕府という当時の日本の中心権力を向こうにまわして、古来日本人の文化に於いて特に深く重んじられていた『忠義』を、したたかに且つ命懸けで実践し成し遂げた「仇討ち(単に「復讐」とする説もある)」の実話から300年余り経つ。

 

当時壮絶な物語を繰り広げた者達の墓前に佇みながら、『忠義』とは何なのであろうか・・・、そして自身にはそのような感情は存在すのだろうか・・・、を改めて自問してみたが何も頭には浮かんでこなかった。しかしながら、元禄の世に生きる庶民らと同じく、『忠義』を実践した義士らを讃え敬う気持ちはぼくの中にも確かに存在しているに他ならないために、こうして四十九の墓標に手を合わせに来ているのだろう。

 

150年前の明治維新や文明開化を皮切りに、テクノロジーは瞬く間に進歩し、同時に彼の敗戦を期に、「個」を重要視する欧米文化が一気に流れ込み今に至ることとなった現代社会は、人々の暮らしを物凄いスピードで豊かにしていったものの、日本人の心から「大切な何か」を幾つか押し流していってしまったような気がしてならない。

その中の一つに『忠義』という失ってはいけなかったであろう「心」もあるのだろう。

 

果たして現代の世の中で目の前に眠る彼らが持っていたような『忠義』の心を、私達はどれだけ受け継ぐことができているのだろうとも考えさせられた。

 

大石内蔵助の墓の前ではヨーロッパから来たと思われる家族が満面のスマイルで写真を撮っている。

彼らの信ずる文化に『忠義』の心がないとは言わないが、おそらくキリスト教文化の中で『忠義』というキーワードの優先順位は左程高い方ではないのだろうと勝手に察する。

 

そんなエラそうな考えが頭の中をよぎったりしたものの、結局のところかく言う自分も欧米かぶれの日本人に他ならないのだが・・・暮れなずむ高輪台下の墓所で『義士』達の小さな墓石を眺めながら、ふといろいろ考えてしまったのでした。