poohrunningの「改訂版:明日はちゃんとします。」

いやはや…いつまで続くことやら…。

過去のエピソードより

過去のエピソードより、メガネ(老眼鏡ね)を失くした話しをお届けします。

 

 

 

春分の日、恋人と桜の季節にはまだ早く、来園客がまだそんなに多くない三渓園を散歩した。

爽やかな風を受けながら、手を繋いで、梅の花や土筆などを眺めながら園内を歩きまわり、中の茶屋で三渓園の開祖発案の蕎麦を食べ、それなりに小さな春を満喫してきたのだった。

 

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その三渓園の園内でメガネ(老眼鏡ね)を落としてしまったらしい。

遠くの木々を仰ぎ見るときに外して、着ていたカーディガンの浅いポケットに突っ込んだまま広い園内を歩き回ったため、何かの拍子に園内の何処かで落としたものと思われる。


メガネ(老眼鏡ね)が無い事に気がついたのは、園を後にして暫く経ってからの、既に閉園時間も過ぎた時分で、慌てて入場券の裏に書かれている園内事務所の番号に電話をかけてみても電話口には誰も出ない。


仕方がないので、翌る日の朝一番に再び園内事務所に電話をかけてみた。

電話口に出た職員に、前の日に園内でメガネ(老眼鏡ね)を落としてしまったらしい旨を伝え、もしや園事務所に落しものとして届けられているかと問い合せてみたのだが、メガネ(老眼鏡ね)の落し物は届けられていませんとの丁寧な返答があった。

 

落としたメガネ(老眼鏡ね)は一昨年に購入して以来すっかりぼくのトレードマークにもなっているもので、所有しているメガネ(老眼鏡ね)の中でも掛け心地の相性が良く、もはや相棒とも云える程に愛着があるメガネ(老眼鏡ね)で、タートオプティカル社のアーネルという型を鯖江で作っているリプロダクトである。
もうもう製造はされておらず、ストックも殆ど底をついてしまっているらしい。

 

さぁ…大変だっ!

 

約17万5千㎡という広大な総面積を誇る三渓園の片隅で、人知れずに朽ちていってしまうかも知れない相棒の事を思って居ても立ってもいられなくなってしまったぼくは、次の日に仕事を休んでメガネ(老眼鏡ね)の捜索に再び三渓園を訪れる事にした。

 

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2日振りに訪れた三渓園の入園口にいる職員の方々に、入場券を渡しながら昨日にメガネ(老眼鏡ね)を失くして問い合わせをした旨を伝えると、やはりまだ届けられていないとのことであったので、とにかく入園して、前々日に歩いたルートを思い出して辿りながらゆっくりと捜し歩き始めた。

 

平日といえども疎らにいる来園者達は、暖かい春の陽射しの下でとても楽しそうに見える。


遠くの広場では結婚式を挙げた新郎新婦とその家族達が、青々とした芝生や鴨が戯れる池を背景に、穏やかな笑顔をカメラに向けて写真撮影をしている。
皆、とても幸せそうである。


ぼくだけが下を向いて、緑道の脇の石の裏側を覗き込んだり、力強く茂る熊笹を掻き分けてみたりしながら、右往左往してメガネ(老眼鏡ね)を捜してよろよろと歩き回っている。


恋人と一緒に手を繋いで笑いながら愉しく幸せな気持ちで歩いていた2日前は、風景の中に今日よりも多くいた筈の人達の事など殆ど気にも留めていなかったのに、こうしてひとりで探し物をしていると、何だか嫌でも鮮明に視界に入ってくる。

 

恋人とふたりで楽しく歩いた2日前の出来事が遠い昔のことのように思えてしまう。

 

しゃがんで土筆の写真を撮った池のほとり…おどけて飛び跳ねてみせた石橋の上…記憶を掘り返すように、心当たりがある場所は念入りに捜してみる。

 

熊手で落ち葉をかき集めたり東屋の腰掛けを拭き上げている園の職員の方々や茶屋の店員さん、終いには造園作業をしている職人達にまで、事情を話して聞き込みをしてみたが、皆心当たりがないとの返事ばかりである。

 

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園内を半周程捜したところで腹が減っていることに気が付いた。

時計をみるともう昼を過ぎていた。

そういえば昨日から何も口にしないで今朝も着の身着のまま家を出てきていたのでムリもない。

 

聞き込みをした茶屋の店先で売られていた握り飯を買って、茶屋の外に並べられた縁台に座り食べた。
下を向いてぼそぼそと旨い(本当に旨かった)握り飯を食べていると、店の方が「メガネ(老眼鏡ね)見つかるといいですね」と声を掛けてくれ、熱いお茶を置いていってくれた。
こういう状況で人様の優しい心遣いにふれると、些細な事でも少なからず心に沁みるものである。
そしてまた、前向きな気持ちにもなる。


「大丈夫…あれだけ愛着のあるメガネ(老眼鏡ね)なんだ。ちゃんとぼくの元に戻ってきてくれるさ。
今も園内のどこかの熊笹の陰辺りで、春のまだ動きが緩慢な蟻達にいたぶられて心細くなりながら、ぼくが捜しに来るのを待っているに違いない。

一刻も早く見つけだしてやらなきゃ…。」


少しだけ前向きな気持ちになったぼくは、指先に付いた米粒を食べて熱いお茶を飲み干し、茶屋の店員さんに礼を言って湯呑みを返して、茶屋を出てまたメガネ(老眼鏡ね)を捜しに歩き始めた。

 

小川の畔で小さな流れを目を皿のようにして辿ってみたり、苔が生した石段を登りながら脇の柵の周りをあらためたり、石灯籠の穴を覗き込んだりしながら、残りの半周を捜す。
時々振り返ってはあやしそうな藪の草をよけてみたり、茅葺屋根の民家を展示した建物の中に入って、屋内のどこかに置かれてはいないかと捜し回ったり、じっくりと時間をかけて考え得る限りの場所を見て回った。

 

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しかしそれでも残念な事に、ぼくはメガネ(老眼鏡ね)を見つける事ができないまま、残りの半周を回って入園口の近くまで戻ってきてしまった。

 

入口に近い喫煙所に疲れた腰を下ろして煙草を吸いながら、ぼくは諦め切れない気持ちを溜息と煙と一緒に吐き出した。

「ひょっとして園の外で落としてしまったのだろうか…?」
そんな考えも頭を擡げはじめていた。

 

実際、三渓園からの帰りに乗ったバス会社には落とした当日に問合せをして、車内を隈なくチェックしてもらったのだが、見当たらなかったとの返事をもらっていたのだ。
園の外の路上で落としたとなると、出てくる可能性はまずないであろう。


それでも…動かない訳にはいかない。
何せ相棒なのだ。
時間が許す限り、出来る限りの手を尽くそう。
諦めるのはその後でいい。

 

最後の一服の煙をふぅっと吐き出して、ぼくは重たい腰を上げて出口に向かった。
入口を潜った時より肩が落ちている。
2日前と比べるともっと落ちている。

 

明日以降も万が一眼鏡(老眼鏡ね)が届けられたら一報をもらえるように、園の職員の方達にお願いしてから園を後にしようと受付に近づいて行くと、一人の職員がぼくを見つけて「お客様、お探しのメガネ(老眼鏡ね)はこちらでしょうか?」と声を掛け、受付の奥のキャビネットの上を指差した。
指されたその先には、まさしくぼくのメガネ(老眼鏡ね)が置いてあった。
「それです。そのメガネ(老眼鏡ね)です。」
ぼくはそう言って受付の窓口に飛びついた。


なんでも、ぼくが眼鏡(老眼鏡ね)を捜しに園に入って行ったひと足後に、早くから来ていた外国人の来園者が拾って届けてくれていたらしい。
ただただ、感謝である。
遺失物受取の書類にサインをして、メガネ(老眼鏡ね)を受取り、園の職員達に丁寧に礼を述べて園を後にした。

 

門の外に出て、改めて戻って来たメガネ(老眼鏡ね)確認すると、昨日の雨のせいか土や砂が付着してはいるものの、変形したりしておらず、レンズにもフレームにも傷などは全く見当たらず、いつものぼくの眼鏡(老眼鏡ね)のままであった。
ただ、どことなく草臥れているように見える。
無理もない。

この広い庭園の中で二泊もして、しかも昨日は一日中冷たい雨にうたれていたのだ。

 

園の前の公衆トイレの水道でメガネ(老眼鏡ね)に着いた土や砂を丁寧に洗い流し、そっとハンカチでふき取ってやると、いつもの姿に戻った。

改めてかけてみるとメガネ(老眼鏡ね)がほっと溜息をついた気がした。

 

もう会えないかと思ったよ。

疲れただろ…とにかくおかえり。

 

園を後に歩きだしたところで、恋人からメールがきた。
急にメガネ(老眼鏡ね)を捜しに行くと言い出したぼくを心配して、仕事が終わってから捜索を手伝うべく、とりあえず中華街まで出てきていたらしい。

 

中華街まで戻ったら豚まんでも食うかな


無事にメガネ(老眼鏡ね)が戻ってきたことと、これからそっちに合流するから中華街で待ってて欲しい旨を返信して、ぼくは暮れかかった本牧の町を歩き始めた。

 

 

 

※云うまでもない事であるが、この文章から読み取るべき教訓などは…ない。